読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

97式改LAPDblog

パトレイバー好きなおっさんが、軍事や思った事を徒然書く日記です 旧ブログ(FC2ブログ)から引っ越して来ました

そして自衛隊を見ず

2014年7月1日、安倍首相は解釈改憲による集団的自衛権の行使容認を決定した。国論を二分したこの大変大きな政策を安倍首相は国民の信任を得る事も充分な説明もする事無く強行して決定した。
私は仮に集団的自衛権を行使したいのならば国民に信を問いその結果賛成多数であるならば堂々と憲法を改正すべきだったと今でも思っている。

さてその集団的自衛権の議論に於いて政治家や国民そしてネット上にて喧々諤々の議論がなされたがその中で私はある一点がすっぽりとまるで問題無いかの様に議論されていた様に感じた。それは自衛隊自衛官についてである。

集団的自衛権論争の中で「もし自衛隊が海外に派遣され自衛官に殉職者が出たら・自衛官が敵若しくは間違えて民間人を殺害してしまったらどうするのか」という議題が多々提起される事はあったが殆どの人達の回答は残念ながら感情論にすぎない物ばかりでありこの問題に対して明快な答えはついぞ出される事は無かった。

その中で私が一番懸念したのはネット右翼所謂ネトウヨと呼ばれる人達の主張である。彼らの主張を垣間見てみると特に自衛官に殉職者が出た場合の物が多かった。

彼ら曰く「日本の自衛官は職務に忠実で殉職する事も厭わない」「自衛官は日本の誇りで仮に殉職者がでたらその任務を全うしようとした姿に賞賛する」「自衛官は皆、殉職したら靖国に祀られる事を願っている」そうだ。
しかし彼らのこの主張にはある点がすっぽりと忘れられている事に彼ら自身は全く気づいていない。それは仮に自衛隊が戦地に派遣された際自衛官に殉職者が出ないよう最大限の努力を国がしなければならない点である。

現在、PKO活動などで自衛隊は海外に派遣されているが法整備の不備や部隊行動基準(*他国ではRules of Engagement略してROE 交戦規則又は交戦規定などと呼称)の厳しい制約などで大変苦労している。もし集団的自衛権自衛隊を海外に派遣するのであれば明確な法律や部隊行動基準を策定し海外活動向けの充分な装備を国が責任を持って与えた上で仮に殉職者が出てしまった場合にも国が一切の責任を負う事を明言し送り出すのがそれこそ責任ある国家のあり方なのではないだろうか?

しかも不幸な事に今回の解釈改憲による集団的自衛権の行使決定はどう贔屓目に見ても違憲であり、違憲状態のまま海外に派遣される自衛官達はその活動根拠の最も重要な根幹部分が不安定な状況で送られる事になるのである。これは土台が無い上に無理やり立てられた家に住まわされるのと同じ事である。この様な状態で自衛官らを派遣する事が本当に日本の安全を保証し安倍首相の言う積極的平和主義に値する物なのだろうか?少なくとも私には全く思えない。

そして万が一自衛官に殉職者が出た場合、国も政府も政治家達も誰もが責任のなすり合いをし自分達が責任を取る事は無いであろう。逆に自衛官が敵若しくは民間人を殺害した場合彼らは責任を全て現場の自衛官らに押し付けるであろう。また国民世論はどちらの場合にしろ自衛隊・政府を非難し「自衛隊を撤退させろ!」と紛糾し問題の根本原因を解決する努力もしないまま、また内向きの平和主義に戻るであろう。

結局なし崩し的に決まった集団的自衛権は政治家にとっても国民にとっても自身には関係のない事であり派遣されるのも自衛官であり自分達には一切危害が及ばないというある種現実的な問題では無くあくまでも遠い遠い世界の話であると思っているのだろう。

奇しくも集団的自衛権の行使が閣議決定された7月1日は自衛隊発足60周年の節目でもあった。この自衛隊発足後の60年間政治家も国民も自衛隊を見ず空虚な神学論争と言葉遊びで費やしてきた。その間も自衛官達は不平不満も言わずにそれこそ職務に真に忠実であらんとしてきた。そろそろ日本人は彼らの事を真正面から真剣に捉え彼らについて考える時なのではないだろうか。